祖国を離れた音楽家たちの想い—子どもと考えた「亡命」

今日、ピアノのレッスンでショパンの話をしたときのことです。

「ショパンが亡命した国はどこ?」

そう問いかけると、生徒は少し考えてから「フランス?」と答えました。

「正解。でも、ショパンは祖国ポーランドを愛していたのに、生涯帰ることができなかったんだよ。」

そう伝えても、子どもたちは「ああ、そうなんだ〜」と軽く受け流してしまいます。
確かに、遠い国の昔の話。
子供たちにとってはなかなか実感の湧かないことなのでしょう。

でも、私はどうしても、ショパンが感じたであろう「祖国を思う気持ち」を少しでも想像してほしいと思いました。

「もし、お父さんが帰れなくなったら?」

もうそろそろ、こういう話をしても良い年齢だと思い、お父さんが単身赴任で海外にいる生徒に問いかけました。

「もしね、今、お父さんが単身赴任している場所で戦争が始まったとしたら…?」

そう問いかけた瞬間、それまで他人事のように聞いていた子の表情が変わりました。

「お父さんは帰ってこられなくなるかもしれない。会えなくなるかもしれない。でも、自分にはどうすることもできない。ただ、心配するしかない。」

その子は目を潤ませ、口をギュッと固く結び、天を仰ぎました。

私の言葉をただの「歴史の話」ではなく、「自分のこと」として受け止めたのです。

亡命という「現実」

ショパンは、1830年、彼がわずか20歳の頃にポーランドを離れました。
当時のポーランドは隣国ロシアの支配下にあり、独立を求める反乱が起きていました。
しかし、その戦いは鎮圧され、多くの若者が国を追われることになったのです。

ショパンもそのひとりでした。
家族や友人をポーランドに残し、フランスへ渡った彼は、祖国の風景を思いながら曲を作り続けました。
《革命のエチュード》《英雄ポロネーズ》《マズルカ》…どれもポーランドへの想いが込められています。

「祖国に帰りたい。でも帰れない。」

その気持ちは、現代を生きる私たちには想像しにくいものかもしれません。
けれど、遠い国の話でも、自分の身近なことに置き換えることで、少しだけでもその気持ちに触れることができるのではないか——そう思いました。

音楽は、言葉を超えて心に届くもの

私は生徒が演奏していたマズルカを演奏しました。

遠い祖国。
その祖国に帰ることもできず、手紙を送っても何日もかかるし、本当に届くのかもわからない。
返事を待っても、いつ届くかわからない。
もしかしたら返事は届かないかもしれない…。

生徒はいつもより静かに、深刻な面持ちで耳を傾けていました。
音楽は、言葉では伝えきれない想いを届けてくれます。

ショパンだけではなく、亡命を余儀なくされた多くの音楽家たちも、同じような気持ちを抱えていたのでしょう。
彼らの音楽には、遠い故郷を想う心が刻まれています。

歴史を学ぶことと、誰かの気持ちを想像することは違う。
でも、音楽を通じて、その人が抱えていた想いを感じ取ることができる。

そして、それはピアノという習い事の本当の価値にもつながるのではないでしょうか。

ピアノは、ただ上手に弾けるようになれば良いものではない。

歴史や教養を学び、広い視野を持ち、想像力を育む——それこそが、音楽を学ぶ醍醐味なのではないかと、私は思うのです。

《ヴェジブノからのポーランド軍部隊の帰還》
マルチン・ザレスキ、1831年、油彩、カンヴァス
©Ligier Piotr/Muzeum Narodowe w Warszawie

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