風景描写に何を見るか


武満 徹 : 雨の樹素描Ⅱ - オリヴィエ・メシアンの追憶に -
このタイトルから、皆さまは何を想像されますか?
私は静かに立っている樹から雨の雫かぽとりぽとりと落ちて、それが音になっている様子を真っ先思い受けべました。

しかし、この風景描写だけでは一向に演奏は上達しません。

響きも良い。
音楽も悪くない。
でも何も感じない。

そう師匠に言われても、それでもわからない。
どれだけ練習しても何も変わらない。
私に一体何が足りないのか……。
ある日、この曲と共に内観をしてみました。
正確に言うと、そうしてみようと思ったわけではなく、もうできることがなくなり、内観せざるを得なくなったのです。

もう無理…
私にできることはない…
このまま舞台で弾くしかない…

悲しい気持ちで弾いていると、それまでは森のあちこちから雨音が聞こえてきていた私の風景画からどんどん木々が消えて、たった一本の樹だけが残りました。

そして、その樹は私自身でした。

根っこが生えていて、動きたくても動けない。
そのことに誰も気付いてくれない。
自由にならないこの身を憂うことしかできない。
胸は捩れ、怒り、諦め、寂しさ、自由への憧れを行ったり来たり。

孤独に苛まれていると一羽の鳥がやってきた。
何と嬉しいことか。
やっと私は生きている喜びを感じる。

しかし、その鳥も羽ばたいて行ってしまう…。

せっかく孤独に耐えていたのに、喜びを知ってしまったばかりに絶望を味わうことになってしまう。

鳥が去り、また誰もいない、誰にも気付かれない毎日が始まる。
けれど、鳥が留まってくれたあの喜びを知らなかった頃の自分には戻れない。
単なる風景画のずっとずっと奥に見えた自分の内側に抱えているもの。

何度も何度も鳴り響く低いD(レ)の音は、根っこ=足枷となりました。

美しい雨音でしかなかった和音の数々は、時に清らかに、時に捩れ、時に複雑に混ざり……
私の心情を刻一刻と表現してくれるものとなりました。

突然表出するフォルテは、飛び立つ鳥に「行かないで!」と叫ぶ私の声となりました。

この曲の中で私は、一生動けないままです。
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