6月8日(土)のくにたちコンサートでは、季節にちなんで雨を描写した曲を2曲演奏します。 ◆武満徹 《雨の樹素描Ⅱ ーオリヴィエ・メシアンの追憶にー》 ◆ドビュッシー 《雨の庭》 この曲をレッスンしていただいていた時、 「音符をなぞっているだけで君の演奏ではない」 と言われました。 これを言われてから1ヶ月。 全く成長を感じられない自分に苛立つ毎日でした。 努力して音やハーモニーは感じられるようになったけれど、音からは感じきれない。 雨をイメージできるけれど、まるで塗り絵のような演奏は一向に変わらない。 そんな状態ですから、音も私の体内に入ってきません。 体内に入ってこない音が、私の内側から音楽となって生まれるわけがありません。 「音は確かに綺麗だよ。 響きも良い。 それは認める。 でもそれだけ。 君の内側で感じたものではない。」 こういうものは悩んで努力してどうこうなるものではありませんが、頭の片隅に置いておくと天啓が与えられる時が来るものです。 それは突然やってきました。 ホテルに泊まった朝、晴れ女の私には珍しく朝から雨の音で目が覚めました。 まどろみの中で聞く雨の音は決して一定ではなく、雨脚は強くなったり弱くなったり・・・ それに合わせて私の意識も目覚めそうになったり、また眠りに落ちそうになったり・・・ 夢か現かわからない中で、ふと過去の記憶を呼び戻されたり・・・ でもまだその時は、これが大切な気付きに繋がることに気付いていませんでした。 ホテルを出ると雨は止んでいました。 その足で新しく活動を始めたエリアの神社へ。 神社に近づくにつれて空は明るくなり、この後は晴れそうな様子。 ところが神社に到着し、神様の前まで行き、目を閉じて手を合わせると、サーーーーっと雨が降り始めました。 清らかで繊細な何と美しい雨の音か! 私はしばし祈りを忘れて雨の音に聞き入っていました。 そこでやっと私は気付きました。 私がイメージ “しよう” としていたものは「目に見える雨」の描写でした。 でも私が感じるのはいつも「耳に聞こえる雨の音」だったのです。 お礼を伝えて神社を出ようと頭を下げると雨がピタリと止みました。 私は大急ぎでピアノサロンへ向かい、ドビュッシーの《雨の庭》を弾いてみました。 すると、これまでとは全く異なる世界が見えたのです。 目には見えないけれど聞こえる雨の音。 雨の匂い。 人間の耳には聞こえることのない木々や生き物の喜ぶ声。 大地がうるおっていく感覚。 雨の音から呼び戻される過去の記憶。 水たまりに映って上下が反転する世界。 怖くて閉じた瞼の裏に感じる雷の閃光。 去ってゆく雷の音。 そして雨の音が消えたと思ったら目の前に広がる虹。 やっと私だけが見える「私の雨の情景」に出会えました。