12月25日、クリスマスの今日、嬉しい報告が届きました。
以前、私の教室でピアノを学んでいた生徒がイギリスへお引っ越し。
落ち着いたのでイギリスでもピアノレッスンを開始したとのこと。
そしてお母様からこんなメッセージをいただいたのです。
「きみこ先生がどれほど素晴らしいことを教えてくださっていたのかを実感しています!」
基礎がしっかりと身についていて、知識量やその深さにイギリスの先生も驚いているとのこと。
この言葉を聞いた瞬間、私は心の底から「本当に良かった!」と思いました。
目に見えない成長と、親の不安
指導者は、生徒に何を教え、どのように成長しているかを理解しています。
でも、親御さんや生徒本人は、自分の歩んでいる道が本当に正しいのかを判断するのは難しいものです。
だからこそ、どうしても 「コンクールで結果を出すことが成長の証」 と思いがちです。
しかし、私はコンクールの結果がすべてではないと考えています。
(この話は別の機会にでも)
むしろ、「基礎をしっかりと身につけ、音楽の本質を理解すること」 こそが、長い目で見て本当の力になるのです。
基礎の大切さ
ピアノを学ぶ上で、基礎はすべての土台になります。
- 体の使い方
- タッチの仕方
- 音の響かせ方
- 音の聴き方・感じ方
- 楽譜の読み方
- 呼吸の使い方
- フレーズの作り方
- 拍子感・リズムの感じ方
- 音楽用語や記号の捉え方
これらを丁寧に学ぶことが、将来の演奏の質を決定づけます。
基礎をしっかりと身につけていれば、どんな曲にも対応できる柔軟性が生まれ、成長が止まることはありません。
一方で、基礎が不十分なまま応用に進んでしまうと、どこかで必ず壁にぶつかります。
コンクールのための練習だけでは、真の実力は身につきません。
日々の積み重ねが、時間をかけて生徒の中に根を張り、やがて大きな花を咲かせるのです。
コンクールの結果がすべてではない理由
コンクールの評価基準は、審査員の主観によるものです。
スポーツのように「タイムが速ければ速いほど良い」といった絶対的な基準があるわけではなく、審査員が「良い」と感じるものが評価される仕組みです。
A先生が高く評価する演奏を、B先生は好まないこともあります。
審査員が変われば、結果が変わるのも当然のことです。
1980年の第10回ショパン国際コンクールの審査員であったアルゲリッチが、ユーゴスラヴィアからの参加者イーヴォ・ポゴレリチが本選に選ばれなかったことに抗議し、審査員を辞退した話は、ピアノ界ではあまりにも有名な話です。
これは、私たちが好きなピアニストが人それぞれ違うことと同じです。
私の好きなピアニストと、私の友人が好きなピアニストが異なるように、音楽の美しさの基準は一つではありません。
しかし、コンクールの結果が絶対的なものだと思い込むと、演奏が「審査員に評価されるためのもの」になってしまいます。
自己表現や芸術性、誰かの心を動かす演奏ではなく、点数や結果を優先した演奏になってしまう。
それは、とても危険なことだと私は考えています。
コンクールの結果に振り回され、親子で精神的に追い詰められていく話は、この業界ではよく耳にします。
ミスをしてしまい、会場の隅で親御さんから厳しく叱責されている子どもを見かけることもあります。
それは、本来の「音楽をする喜び」とは大きくかけ離れたものではないでしょうか。
「信じてください」としか言えないもどかしさ
「このレッスンで本当に大丈夫なのか?」
「他の子と比べて遅れていないだろうか?」
そんな不安を抱える親御さんの気持ちは、痛いほど分かります。
でも、指導者としてできることは、ただひとつ。
「信じてください」
その一言に、私のすべての想いが詰まっています。
だからこそ、こうして時間が経ち、親御さんが「あの時の選択は間違っていなかった」と実感してくれることが、何よりも嬉しいのです。
コンクールで優勝することがゴールではありません。
長い時間をかけて身につけたものが、いつか本当の力となる。
それを信じて、これからも生徒たちと歩んでいきたいと思います。